【寿司を超えるフレンチを】と言ったフレンチの巨匠がいました
当時は巨匠の言っている事に対して、何を言っているのかわかりませんでした
最近になってだけれどその言葉の意味がちょっとずつだけれどわかってきた気がします
日本人として、寿司を超えるという料理を生み出す事の壮大さが
そもそも何を持ってして超えるという事なのか
多くの人に寿司を超える料理ができたと賛辞を得た時に超えたとするのか
それとも自己満で寿司を超えたと思ったときとするのか
今の私の【寿司を超える】という事に対する解釈は【自分の限界を超える】という事であり挑戦する事の大切さだと解釈している
世界に誇る美味い魚がある日本において、魚料理で寿司を超えるイタリアンが生み出せたらそれはそれは料理人として歴史に名が残る事だと思う
美味しい寿司を食べれば食べるほどに、寿司を超える魚料理は自分にとって作れるだろうか?という焦燥感のようなものをいだく事がある
きっとこの感覚がなくなったとき、それは料理人としての終わる時なんだろうと思う
ペペロッソでは、毎月の新メニュー更新に挑戦している
新しい味を生み出すという事は、物凄くロマンに溢れている
今はまだいろんなものの答えを探している最中
ちょっとした【未完成】の余白にこそ魅力があるとも思う
余白って個々の感性を入れ込めるスペースだとも思っている
なんでもかんでも決まっているよりも、ちょっとした自由にこそ旨味があるように思える
個々の感性を入れる事ができる余白を持った未完成な料理にとても惹かれている
食べ手それぞれの考えと合わせて楽しんでいただける料理を考えたい
早朝のとても静かなこの時間はついついぼやいちゃいますよね
写真の鮨は、鹿児島にあるのむらさんの鮨
料理人としての一つの答えがある場所
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